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どうして福岡のITシーンは“強い”のか!? 3名の“事情通”が振り返る「福岡IT業界20年史」

いまや全国的な注目を集めている福岡のITシーン。とりわけ首都圏に集中しがちな同業界ですが、なぜ九州・福岡で、これほど飛躍的に発展したのでしょうか。そこで今回は、福岡IT業界の黎明期から活躍し、福岡のIT事情に詳しいお三方、クリエイティブセンター福岡COOの渡辺高志さん、株式会社ディーゼロ代表取締役の矢野修作さん、デジタルハリウッド福岡校校長の高橋政俊さんにスペシャル鼎談をお願いしました!!

黎明期は東京とのレベルの差が大きかった

――現在では、ヌーラボさんやレベルファイブさんのように、福岡発のIT・デジタルコンテンツ企業が全国的な知名度を上げ、福岡はITとスタートアップの街としての認知度を高めています。そこに至るまでに紆余曲折があったと思うのですが、まず福岡にIT・デジタルコンテンツの芽が出始めたのは、いつ頃なのでしょうか?

矢野 福岡の老舗IT企業として知られる株式会社ペンシルさんが登場したのが1995(平成7)年頃です。ペンシルさんは早くから費用対効果を重視するサイト作りにこだわっていて、当時としてはかなり異端であったのを記憶しています。あの当時は印刷会社がWEB制作を兼ねることがほとんどで、僕が2000(平成12)年に会社を作った頃には、WEB専門のデザイナーなんてほとんどいませんでしたよ。

高橋 当時のWEBデザイナーは、マルチクリエイターのような感覚でしたよね。WEBも扱いながらCGもやるし、音楽もやるみたいな。

矢野 その頃、福岡でWEB専門にデザイン・制作をしていたのは当社の他に数社くらいだったと思います。当社のように印刷物は絶対に受けないというコンセプトの会社は、当時としては珍しかったはずですよ。専業でやっていないと弱い会社になってしまうと思っていたので、目先の売り上げよりも、とにかくWEBオンリーにこだわりました。

高橋 デジタルハリウッド福岡校ができたのは1998(平成10)年のこと。当時、福岡にはIT人材を育てる環境がなかったので、福岡県が、東京と大阪でIT人材育成で高い評価を受けていたデジタルハリウッドを誘致し、株式会社九州インターメディア研究所に併設する形で設立したんです。人材の輩出という面で、デジタルハリウッドの設立は福岡にプラスに働いたと思います。設立当初は求人数より卒業生の数の方が多かったですが、それでも夢を持って学びに来る方が多かったですね。

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――やはり出来たばかりの業界に飛び込むくらいですから、新しいことに挑戦したいという人が多かったのでしょうか?

高橋 当校には、起業や革新的なことをやりたい人、就職に有利そうだから入ってきた人の両方がいました。あと、当時、いろんな企業で「WEBをやらなきゃ」という危機感が出てきて、世間が騒いでいるから何かあるのかも、みたいな一攫千金を狙って始めるケースも少なくなかったですね。

矢野 今のようにどこにいても情報をキャッチできる状況ではなかったので、当時は東京と福岡で作品のレベルの差が大きかった。それが2000年代に入って一般企業がWEBを作る事例が増えてくると、1つのターニングポイントを迎えました。この頃から今につながるシーンが出来始めたように感じますね。

――昨年の東京都知事選に立候補して話題になった実業家・家入一真さんが創業したGMOペパボも、その時代に福岡県内で設立されてますよね。

矢野 GMOペパボは2001(平成13)年に設立し、2003(平成15)年に会社化されています。最初は個人向けの小さいサーバー屋さんだったんですよ。それがジャスダック上場まで成長したのだからすごいですよね。

渡辺 それで言うと、ディレクト・ネットワークシステムズさんやデフィデさんも結構早かったですね。早くから全国に通用するWEB制作で評価されていました。

――エリアで言うと、どこが盛り上がっていたんですか?

矢野 当時は大名エリアが盛り上がっていましたね。当社も最初のオフィスは大名でした。

高橋 ペンシルの覚田義明さんがデジタルコンテンツ・イノベーションパーティー「D2K」を始めたのは、2000(平成12)年です。90年代後半から2000年にかけては、福岡のITといえば大名が中心でしたね。街中にクリエイティブな空気が漂っていましたよ。

矢野 厳密に言うとITだけではなく、若者自体が集まり盛り上がっていましたね。若者がITをはじめ、美容室やセレクトショップなど、最新のクリエイティブなカルチャーに触れ合える場所が大名だったんです。

渡辺 だから、この業界って音楽をやっていた人が多いじゃないですか。音楽からCGやWEBに派生した人も少なくなかったと思います。いち早くVJ(=Visual Jockeyの略)をやりたくてCGやりましたみたいな。

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――2000(平成12)年前後は、ちょうどITバブルが弾けた頃だと思うんですが、福岡ではどうだったんですか?

矢野 当時は、東京と福岡では制作レベルの差が激しかったので、福岡自体がITバブルの恩恵を受けている地域ではなかったんです。その分、ITバブルの損害も受けないので、バタバタ倒産するというのもなかったですね。

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「地方は安いから」という受注理由を改善したい

横のつながりを強め、皆で切磋琢磨する

――先ほど、求人数より求職者の方が多かったというお話がありましたが、求人の方が上回ってくるようになったのはいつごろですか?

渡辺 僕が東京から福岡に戻ってきた2006(平成18)年ごろには、求人の方が多くなっていました。ちょうど、ホリエモン(堀江貴文氏)が騒がれ、mixiのような国内SNSやブログが円熟期を迎えた頃です。いわゆる『Web2.0』が叫ばれていた時代で、この頃からWebサービスというものが多く誕生してきました。

矢野 そういった事業に福岡で一番早く成功したのが、アイフリークだと思います。2007(平成19)年くらいに上場していますが、WEBを単なる制作で終わらせるのではなく、サービスへと転換させました。WEB業界が細分化されていったのもその頃です。

渡辺 2007(平成19)年は、デザインやプログラミングなどのコミュニティ文化が芽生えはじめた時期。AIPカフェのようにWEBを通じて集まり、学ぶ場が福岡に誕生しています。自然発生したわけではなく、こういうことを意識的にはじめようとした人たちが集まって今のコミュニティ文化があるのだと感じます。

――横の繋がりという面ではAIPカフェができた意味は大きいのでしょうか?

高橋 現場でやっている人たちがつながれる場所ができたのはすごく大きかったと思います。企業単位ではなく、クリエイターが個々に周りを巻き込んで何かをしようという動きが生まれたように感じます。また、スマートフォンやSNSが普及し、コミュニティツールが整ってきたことも大きいですね。

――この頃から、福岡の企業は「東京の仕事」を受注していますよね?

矢野 受注はしていましたが、「地方は安いから」という理由での依頼がほとんどでした。悔しかったので単に安さを求めるような依頼は、僕は断っていましたが……。だからこそ、状況をみんなで改善していこうとしました。立ち上げ時期から「福岡であること」の意義を問いて、福岡の市場を奪い合うのではなく、我々が全国に通用するものを作れることを証明しようと言い続けてきましたから。ですから、東京の会社にプレゼンして東京の会社に勝利するのは楽しくて仕方なかったですね。当時、福岡の企業を全国区にのし上げるために、全国でノウハウを積んでくるという感覚は、ディーゼロのほかに当時のデフィデさんなども持っていたと思います。

高橋 現在では価格競争ではなく、いいものをつくったことで評価される企業も増えています。レベルファイブさんも昔は下請けでしたが、クオリティが高いものを作り続け、自社コンテンツがヒットして今に至っています。

震災を機に、首都圏から福岡へ企業が移転
東京に行かなくとも、いい仕事ができるように

――その他、2007(平成19)年から現在に至るまでにターニングポイントといえる出来事はありますか?

矢野 やはりiPhoneの登場ですかね。デザイナーからすると、(NTTドコモの)iモードは表現力に乏しかったのですが、スマホは新しい表現の可能性を感じました。

渡辺 加えて2011(平成23)年の東日本大震災を機に、首都圏から福岡への人材の流動が起きました。ネット企業はもちろん、ソーシャルゲームの会社や映像会社も福岡に移ってきましたね。

――たとえば、どんな会社がやってきましたか?

高橋 ポリフォニー・デジタルさん、gumiさん、LINEさん、ケンコーコムさんなどが代表的な企業です。求人は震災前に比べての倍増し、今年も去年の1.5倍ベースとなっています。まさに人材が足りない状況ですね。東京も足りていませんが、福岡も同じ。東京から福岡への進出を考えていたのに、人を採用できなくて断念した会社も何社かあります。

渡辺 福岡で昔からがんばっている小さい企業も、その影響から人材不足に悩んでいます。以前は求人を出せばすぐ人が来たけれど、ここ最近はブランディングも含めた求人活動をちゃんとしないといい人材は集まりません。

――福岡市における人材の定着率はいかがですか?

高橋 定着率は高いです。東京に行かなくてもいい仕事ができるようになったことが大きい。数年前に上京した当校の卒業生から、福岡に戻ってきたいという相談もあります。ただ、福岡と東京の賃金格差が大きいという問題はあるんですが……。

矢野 福岡は人と人のコミュニケーションも密で、企業内の風通しもいいのがセールスポイント。そのため、クリエイティブな仕事に向いている土地柄だとは思います。

高橋 関東・関西に比べて「給料が減る」と二の足を踏む人も多いですが、福岡ならではの魅力も多いので、関東・関西から移住してくる方があとを絶ちません。最近は、わざわざ福岡に移住し当校で学び、クリエイティブな仕事を目指す方が増え、学生全体の2割近くまでになっているんです。

――最後に、皆さんが目指す成長ビジョンを教えてください。

矢野 クリエイター同士のつながりが強い福岡ならではの特性を活かし、彼らの充実したコミュニケーションから質の高いクリエィティブを生み出せるように努力していきます。クリエィティブ領域なら「福岡の方が東京より良いじゃん!」と言ってもらえたら最高ですね。そして、福岡の中小企業のためにも貢献していきたいという思いが強いです。福岡の中小企業が全国に出て行く架け橋になります。そして、良い人材が地域に根付ことは地域発展にとってすごく重要だと思っていますので、優秀なクリエイターが東京に出て行く流れを食い止めたいです。

渡辺 サービスやスタートアップを充実させるためには“作る人”が必要ですから、人材を福岡に定着させないといけない。福岡のクリエイターにちゃんと仕事を届けることと、実践レベルでクリエイティブ人材を育成すること。クリエイティブによって福岡の経済が伸びていけるように奮闘しています。

高橋 当校は設立以来、九州のデジタルコンテンツ産業の発展を人材面で支援することを志にしています。なので、これからも企業が必要としているクリエイティブ人材を輩出できるよう、福岡で業界をリードするトップ企業や行政と共に産官学連携しながら人材育成に取り組んでいきます。

お三方の鼎談、いかがでしたでしょうか。この20年間で着実にレベルアップを図ってきた福岡ITシーン。東京に負けまいと努力し続ける情熱と、それを実現するために皆で切磋琢磨する横のつながりが、強さの源泉なのかもしれません。福岡は貪欲に成長したいと願うIT人材からますます「選ばれる街」となっていくのではないでしょうか。


【関連リンク】
株式会社ディーゼロ
http://www.d-zero.co.jp/

クリエイティブセンター福岡株式会社
http://ccf.jp.net/

デジタルハリウッド 福岡校
http://school.dhw.co.jp/school/fukuoka/



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