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カルチャー系移住者インタビューvol.1 フォトグラファー/DJ・常盤響さん 「誰にとっても意味があることなんて、僕みたいな人間がやることじゃない」

「福岡には刺激が足りない」――そう言って、福岡の街を飛び出して上京する若者たちがいる一方、東京から福岡へと流入するクリエイターも多くいます。中でも最近目立つのは、東京で音楽や写真といったサブカルチャーシーンの先端を走り、一つの時代を築いてきた先人たちの福岡移住。その一人が、常盤響さんです。

90年代からデザイナー・フォトグラファーとして頭角を表し、今のInstagramに代表されるような、日常の延長にあるスナップスタイルを商業写真の世界に持ち込んだ第一人者である常盤さん。平成23(2011)年6月に福岡へと移住し、現在は東京と福岡を毎月往復しながら、フォトグラファー、DJとして精力的に活動を続けています。常盤さんが考える東京、福岡、そしてカルチャーについて、ご自宅で話を伺いました。

 

--東京のサブカルチャーシーンを代表する常盤響さんが、福岡に移住されたと聞いた時はとても驚きました。移住のきっかけは何だったんですか?

常盤 引っ越して来たのが平成23(2011)年の6月で、時期的に東日本大震災と原発からの避難と思われがちなんだけど、そうではないんですよ。仕事に一度区切りをつけて、新しい場所で新しいことを始めるために引っ越した、というのが正直なところです。東京でのルーティンを一度断ち切って、足元を見直す機会が欲しかったんです。

--具体的にはどういうことですか?

常盤 僕の今の肩書きはフォトグラファーだけど、もともとは絵やイラストを描いたり、文章を書くのが好きだったんですよ。でも、10代の頃からバンド活動をしたり、ミュージシャンの友達と遊んでいるうちにいつしかCDのデザインを頼まれるようになって、そのままデザイナーになってしまって。その後、元々友人だった作家の阿部和重さんに本の装丁のデザインを頼まれて、予算がないので自分で写真を撮ったら、評判が良くて今度は写真集を出すことになったり。自分で「これになりたい」と思って勉強したわけではなくて、頼まれたことを自分のやり方でこなしているうちに、仕事が大きくなっていって、そんな風に40歳くらいまでずーっと仕事をしてきたんですよね。一方で仕事や年齢に応じて家賃も高くなっていくし、その家賃を払うために、また仕事をして……。その連鎖から、一度逃れてみたいと思ったことが、そもそものきっかけですね。

--ご自身で「これになりたい」と思って始めた仕事ではないとのことですが、常盤さんの意識の中では、雑誌の表紙やグラビアを撮るような仕事は、どこか望んでやってきたわけではないという思いもあったということでしょうか? 

常盤 いやいや、もちろん好きな仕事もたくさんさせてもらいました。でも写真にしろデザインにしろ、だんだん僕が面白いと思っていた領域とは違う仕事が増えてきてしまったんですよ。例えば、よく一緒に遊んでいた電気グルーヴのCDジャケットをデザインした時は、曲ができる前から一緒にアイデアを出したり、レコーディングにも立ち会って、僕もメンバーの一人のように関わっていたんです。楽器はできないけど、一緒に音楽活動をしている感覚だったし、そうやって作るのが楽しかった。でも、プロのデザイナーとして発注された仕事になると、ミュージシャンとのあいさつもそこそこに、レコード会社から企画書と音源を渡されて、「はい、これでデザインをお願いします」と言われるだけ。

--キャリアを積めば積むほど、“ドライなビジネス”が増えっていったと。

常盤 ええ。そうなると、メンバーと同じ音楽体験をしているわけでもないし、どんなデザインにしたらいいのか、自分でもわからない。写真の場合も、例えば女性誌の表紙だったら、その女優さんのパブリックイメージに沿った写真が必要だったりして、それならもっとライティングにフェチズムを持った人が撮った方がいいんじゃないかと思ったり。僕はもとがフォトグラファーではないので、フォトグラファーにとってのいい仕事が、自分にとって必ずしもいい仕事ではないんです。自分にとってのいい仕事ってなんだろう……もっと自分の作家性を試してみたくなって、一度そういうコマーシャルな世界から距離を置こうと思ったんですよ。

--それにしても、日本のカルチャーの中心地である東京から遠く離れるとは、思い切った行動をされましたね。

常盤 自分の中での東京が徐々に変わってきて、今だったら他の街もいいかなと思ったというのもありますね。僕は小学生の頃から渋谷の塾に通っていたんで、ずっとあの街を見てきているんですが、「ある時期」以降、渋谷から僕が興味のあるカルチャーが極端になくなっちゃったんですよね。昔は“世界一レコードが集まっている街”だったし、あらゆるカルチャーが生まれていたけど、ある時からマス的なものに全部飲み込まれてしまって、そうしたカルチャーそのものが減衰していって。最近の渋谷は、昔から住んでいる人のための街というより、上京したての人のための街ですよね。わーっとしたお祭り感があって、それはそれで面白いんだけど、ふとした時に「今視界に入っている全員が自分より年下か〜」とか思うと、ちょっとゾワッとしたりして(笑)。街も変わったし、自分自身も渋谷にふさわしくなくなったということかもしれません。

--なるほど。でも新しい拠点としてなぜ、福岡を選んだんですか?

常盤 撮影やDJで全国を周っていたから、たいていの街に知り合いがいました。その中で、福岡は唯一、つながりの強い人がいなかった。だから、新しく何かを始めるにはいいかなと思ったんです。僕は渋谷が地元だから、地方から渋谷に上京してくる人のワクワク感ってわからないんですよ。逆に福岡に“上京”すれば、その感じを味わえるなと思って。僕は街っ子なので、クリーンなものとダークなものを両方持っている繁華街がある街が好きで、最後は福岡と札幌の二択で迷ったんですけど、札幌は雪で飛行機が飛ばなかったりするんで、仕事に影響が出そうだなと思って。それで福岡に決めました。

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--実際に福岡に暮らし始めて、どう感じましたか? 東京の真ん中にいた頃と比べると、不便や不満もあるんじゃないでしょうか?

常盤 家賃は安いし、食べ物も豊富でうまいし、不満はないですね。今は糸島に住んでいて、東京に置き換えると西伊豆ぐらい、都市部と離れた感覚です。でも実際の距離は西伊豆〜東京間より遥かに近く、車に30分も乗れば(福岡・天神の)バーニーズニューヨークにだって行ける。こんな環境って、世界的に見てもなかなかないんじゃないですか? 渋谷のクラブ「オルガンバー」で朝までDJして、そのまま羽田空港に行って、朝9時には福岡の家の布団に入れますからね。距離は全く問題ないですよ。思っていたより若者がコンサバティブだったり、カルチャーに飢えた若者を焚きつけるような福岡発のカルチャー誌がなかったり、そういう点で東京との違いを感じることはありますけど、今の自分の生活にはあまり影響ないですね。

--糸島の住環境は自然が豊かで、静かに暮らせると思いますが、渋谷を拠点していた人にとっては少し寂しさを感じたりはしませんか?

常盤 僕、近くに人の気配を感じながら一人でいる方が、寂しさを感じるんですよ。友達と飯食いたいのに、誰も連絡つかなかった時って、イヤでしょ(笑)。だから、人がいないなら、いっそ全然いない方がよくて。今は、ひとり旅の途中みたいな感覚で、田舎の孤独感を楽しんでますね。どこか特殊なコロニーにでも住んでるみたいです。

--現在はどんなペースで仕事をしているんですか?

常盤 大雑把に言うと、1か月のうち東京は1週間、残りが福岡という感じです。東京ではDJのレギュラー仕事もあるし、その間に打ち合わせや撮影をします。福岡では、主にPC作業をしたり、週に一度はラジオの収録があります。まぁ、東京に住んでいた時より、全然仕事してませんね(笑)。でも、生活の質って意味では、今の方が贅沢をしていると思います。東京時代は南麻布の店で高い金払って刺身を食うとか、紀伊国屋で“なんとかの水”とか買ってましたけど、糸島なら地物が簡単に手に入りますから。

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--福岡に来てからは、どんな活動に注力しているんでしょうか?

常盤 最初の話に戻りますが、僕が新鮮にやれてた時代って、結局自分がアマチュアだった頃なんですよ。僕はフォトグラファーじゃなかったから、フォトグラファーがやらないことも躊躇なくできたし、レンズを半分水に浸けてみるとか、人には頼めないけど自分だったらできるようなことをやってこれた。そういうアマチュアの初期衝動とか、自分がフォトグラファーでもデザイナーでもなかった頃の発想に、もう一度原点回帰して向き合いたいと思っているんです。これまでは商業的に求められるものをやってきたけど、これからはコアに刺さるものしかやりたくない。そういう思いで平成24(2012)年に創刊したのが、「常盤響の週刊ニューエロス」です。

--「常盤響の週刊ニューエロス」は、グラビアをメインとするオンラインマガジンですね。これまで東京でやられてきた仕事と、どこが大きく違うんですか?

常盤 タレントを撮影してほしいという依頼の場合、編集部やプロダクションの意図通りに撮るのが仕事なので、タレント本人のやりたいことを撮るわけではないですよね。でもここでは、プロのタレントではない、素人の人が応募してきて、彼女たち自身が撮ってほしいものを撮ります。彼女たちは、撮られたいという思いが高まっている状態で来るので、結成したばかりのパンクバンドみたいな初期衝動があるんですよ。

--すごい前のめりな、勢いがある感じ(笑)。

常盤 そうそう。そういうバンドとずっとセッションしてる感じで、すごく面白い。モデルが読者であり、クライアントでもあるので、編集部とか代理店とかの余計な意図が入らずに撮れるんです。インターネットが出てくる前までは、まだ漠然とした“マス”が存在していて、マスが見たがるものをプロのタレントとプロのフォトグラファーが作り上げるのが仕事だったけど、今は個人対個人でいくらでも情報がやり取りできる。これからは、マスに向かない趣味性の高いものでも、すごくエゴイスティックになって作り、それが一部の人にとってこの上ないものになればいいと思っています。

--ありがとうございます。最後に、常盤さんのクリエイティビティの尽きぬ源泉について、教えてください。

常盤 時代はどんどんスクエアになっていって、みんな意味のあることしかやりたがらなくなってるけど、誰にとっても意味があることって、僕みたいな人間がやることじゃないと思うんです。最近は、メチャクチャやってそうに見えても、すごく真面目に“メチャクチャ”やってたり、崩壊を求めていても、あくまで結末がちゃんと用意されていたりする。僕が面白いと思っているのは、戦略の中に紛れ込んでくる、エラーの要素なんです。デザインって、自分の頭でコントロールできるでしょ? でも写真はモデルがいることで、違う要素が入る。他人が入り込むことで、エラーが起こるんですよね。僕らが昔、高円寺に作ったレコード屋の名前が「Manual Of Errors(マニュアル・オブ・エラーズ)」っていうんですが、それは「失敗のためのマニュアル」という意味なんですよ。いかに学び、いかに失敗するか。すごい頑張って準備して、最後はそれを台無しにして、大円団を迎えたい。それが僕の根底にある考え方なんですが、このニュアンス、伝わりますかね(笑)。

 

時折博多弁も交えながら、終始穏やかな口調で話してくれた常盤さん。しかし、その言葉の節々からは、カルチャーシーンを牽引するクリエイターたちと渡り合ってきた、特異なセンスとこだわりが光っていました。常盤さんのような“先輩”がいることは、福岡の街にとっても、大きな財産となるのではないでしょうか。

 

【プロフィール】
常盤響(ときわ・ひびき)さん
昭和41(1966)年、東京生まれ。80年代半ばから、音楽活動の傍ら雑誌を中心にライター、イラストレーターとして活動を開始。ヤン富田氏の依頼でASTRO AGE STEEL ORCHESTRA「ハッピー・リビング」のデザインを手がけたことにより、CDジャケットを中心にデザインを始める。平成9(1997)年、旧知の仲であった作家・阿部和重氏の依頼で「インディビジュアル・プロジェクション」の装丁を担当。この装丁のためカメラを購入し、写真を撮ったことがきっかけで、フォトグラファーとしての活動を始める。以後、写真集他、雑誌のグラビア撮影等多数。平成23(2011)年、ダンボール1,400箱(主にレコード)と共に福岡へ引っ越す。その後も福岡と東京を往復しながら、フォトグラファー、DJとして活動の幅を広げている。


【関連リンク】
常盤響の週刊ニューエロス
http://www.weeklyneweros.com
Transit Radio Monday 常盤響のニューレコード
福岡 Love FM 毎週月曜日20時〜21時30分
http://lovefm.co.jp/topics/more/413

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